慚愧に堪えない

 僕が住んでいる街でもコロナが再び流行りだしたので、週一回のテレワークがまた始まった。週一回って何やねん。と思うが、一日30分×2の自転車通勤もないし、だらだら仕事ができるので週一回でも心に余裕が生まれる。
 さあ、だらだら仕事をするぞ。と思ったが、お客からの電話や、昨日後回しにした仕事を片付けていたら、全然だらだらできなかった。
 仕事ってそんなもの。納期もあるし、誰か代わりにやってくれるわけでも無いので、全部自分に返ってくる。不本意ながらタッターンと仕事をした。


 昼はインスタントの醤油ラーメンに豆苗を入れたが、ラーメンと一緒に豆苗を茹でたのでスープが青臭くなった。別で茹でるかレンチンして後から乗せたほうが良い。
 ラーメンだけでは腹が満たされず、パイの実の高級バージョンがあったので一箱を一気に食べたら、食後の血糖値が振り切れて睡魔が泳いできた。(swimmerだから…)

 

 午後は人と合う予定だったので、少し早めに仕事を終わらせて家をでた。30分くらいで着く予定で自転車を漕いだら15分で着いてしまった。健脚万歳。ピュピュっとその予定も片付けて、どこにも寄らずに帰宅。
 自転車大好き人間のように思われるが、財布が許してくれるのであれば、「動力に自分の身体を使わない乗り物を日常的に乗りこなしたい」のである。あれ、でもそうすると、ロデオマシンもOKになってしまう。あぶないあぶない、あんなものは我が人生で全く必要としていない。「動力に自分の身体を使わない乗り物を日常的に乗りこなして移動する」にしよう。それだと公共交通機関を利用すればよいだけの話になるので、素直に「自家用車を持ちたい」と言っておこう。

 

 ここ最近、一年以上前の米が見つかったので、新米と混ぜて炊いていたのだが、もう残り少なかったのでほほ古米で炊いたら、黄ばんだ臭いご飯が炊きあがってしまった。とてもとても臭くて食べられたものじゃ無かったので、考えうる全ての人や神や仏に懺悔して残した。
 例えば消費期限が切れた食材を破棄しなければならない場合も罪悪感はあるが、それが米となると、もうその比ではない。一生食べ物に困って最後は餓死するのではないか、と思うくらいにバチを畏れているし、ゴミ箱の前でぽつねんと立ちすくむぐらいに、罪悪感を感じる。

 そんな男が今日米を捨てた。明日から私の贖罪の日々が始まるのである。

 はからずも食材と贖罪がいい感じでイェイイェイ♪と、お後がよろしくなってしまったが、決してふざけていないことだけは誓って言っておく。