須弥山の麓で

36歳ゲイです!彼氏持ち。 日々の日常、思うことをダラダラ綴ってます。

海を渡る

思い描いていた理想の未来とはだいぶ違う方向に現実が進んでいる。
これは如何せん仕方がないことではある。そして概ね予想はしていた。それなのに心の中は大時化だ。

原因は二つある。
一つは、その現実が予想より早く訪れたこと。
もう一つは、今の自分がその現実と対峙するにはあまりにも未熟だということ。

 

気がついたらもう36歳。
子供の頃に考えていた36歳なんて、そりゃ大人の中の大人で、あんな事やこんな事も経験して、世の中の汚い部分やしょっぱい部分も、ベロベロ舐め尽くしているんだろうと思っていた。だが今振り返ってみると、そんなにしょっぱかったか?と甚だ疑問だ。
たしかに色々辛いことはあったけれど、それは大海に素っ裸で放り出されるようなものではなく、監視員付きの市民プールに、ビート板に捕まって、もがいているようなものだったのではないかと、今になって思う。

そんなレベルの人間に、ある日指令が届いた。
「人生のドーバー海峡を渡ってこい」と。

はじめはお断りしようと思った。なんとか船か、最悪筏で渡ろうかとも考えたけれど、船をチャータする金も無けりゃ、筏の作り方も知らなかった。残されたのはやはり遠泳一択。
きっと大量の海水を飲むだろう。足は攣らないだろうか。息継ぎはできるだろうか。どこかで応援してくれる人はいるだろうか。ゴールには誰が待っているだろう。
泳ぐ前からそんなことばかりを考えている。情けない。


それでも、泳ぐと決めた。自分で決めた。

泳ぎ方は飛び込んでから習えば良いと思っている。


どこへ辿り着くかはわからないけれど。

生きる 死ぬ

ここ2ヶ月の間に2回、この世とおさらばしようと行動に移した。
いろんなことが重なって何もかも嫌になって、生きていくことが億劫になった。何も考えたくない、目の前の問題も見たくない、それでも現実は容赦ない。嫌だ、嫌だ、嫌だ、と考えているうちに、気がついたらスチールラックにベルトを結んでいた。

結局、苦しくて一線は越えられなかった。脳ミソの中は、死ぬことでいっぱいだと思っていたのに、それを拒否する部分がまだ残っていたらしい。
今は平気、立ち直った。とは到底言えない。
あいかわらずネットの検索履歴は死ぬことばっかりだ。

夜一人になると、今日もなんとか生きていたと考え、朝目が覚めると、地球が爆発するまでのカウントダウンを唱える。
それでも仕事へ行って、ご飯を食べて、何も無い振りをして生活をする。他人から見たらこんなことを考えてるようには見えないだろう。
死にたいなんて口に出したら、もっと寂しくて惨めになる。それに、いつか本当にそうなってしまいそうだ。それが怖い。なんだか矛盾しているけれど。

そしてたくさん泣いた。こんなに泣いたのはいつぶりだろうか。
一人の時も泣いたし、人前でも泣いた。まさか死にたいと思って泣いているなんて、その人は気がついていないだろう。死にたい原因の一つを理由にして、涙が出たと答えたら、困った顔をしていた。死にたいって言ったらもっと困るだろう。ごめんなさい。

最後にどうやってこの文章をまとめようか考えたが思いつかない。きっとずっとわからないのではないかと思う。わかってしまったら、もうこの世にはいないかもしれない。だから分からないままで良い、というのが今の答えだ。

ゲイのバレンタインデート

金曜日の夕方に相方から「明日どこの梅見に行く?」とLINEが入った。梅を見ることはどうやら決定事項らしい。そう言えばこの時期になると毎年梅を見に行っている。去年は万博記念公園の梅園に行った。満開の時期と少しズレていたので、今年はちゃんと開花時期を調べようとネットで検索していたら、大阪天満宮で盆梅展をやっているらしい情報が見つかった。ちょうどその近所にいつも行っている床屋があるので、ついでに散髪してもいいか?と相方に返信。よくわからない花のスタンプが送られてきたのでどうやらOKらしい。

 

当日は小雨が降っていたが、盆梅展は天満宮の建物の中でやっているので問題なし。相方は雨の中で行動すると機嫌がとても悪くなるので、万博の梅園を選ばなくてよかった。

到着してすぐに僕は散髪、相方は本屋へ。前回ツーブロックにしてもらった髪型が気に入っていたのだが、6ミリの刈り上げがけっこうすぐに伸びたので、今回は3ミリをオーダー。担当してくれた男性理容師がしばらく見ない間にソバージュの小デブになっていたが、シャンプーがとても気持ちよかったので大満足。

ジェルでバキバキにされた頭で相方と合流し、とんかつを食べて盆梅展の会場へ。境内で猿回しをやっていたので、おひねりの回収が始まる前まで見物した。見物客の中に、合いの手を入れたり大いに楽しんでいる家族連れがいたので、おひねりはいくら入れるのだろうと思っていたら、僕たちよりも早いタイミングで去っていった。

盆梅展はちゃんと700円✕2人分払って入場。入り口で靴を履き替えていると、中からほんのり梅のいい香りがした。これが足臭だったらほんとに萎える。今回の展示は、ふつうの照明とプロジェクションマッピングが15分毎に切り替わるという演出だった。プロジェクションマッピングのほうは梅を見せるというより、非現実的な空間を演出するのが目的かもしれない。(そもそも暗くて梅が見えない)休日だったが、人も少なくて落ち着いて見られた。来年も開催していたらぜひ来たい。あらまし見終わったので、境内でぜんざいを食べて帰宅。

帰って風呂に入ったら、バキバキの頭のジェルがとれて河童みたいになった。夕飯のデザートに相方が手作りしたティラミスを二人で食べていると、ふいに暗転したテレビに映り込んだその姿は、沙悟浄猪八戒のようだった。バレンタインだし、久々に僕の如意棒が・・・とはならなかったが、老夫婦のような落ち着いた関係が築けていることに感謝しなから完食した。

お久しぶりです

そういえばブログ全く更新してないと思って、最終更新日を確認したら18年の6月。一年以上前。そんなに経つのか。この一年半何かあったかな・・・。


これといって自分の生活が大きく変わる事件はなかったけど、思い起こせばちょこちょこ出てくるよね。楽しいこともあったけど、やっぱり悩みに関してのほうが思いつくことは多い。嫌な性格。

特に最近は両親のことが悩みにタネ。この歳になると誰もが通る平凡な悩み。でもいざ自分に降りかかるとけっこうダメージは大きかった。未だ傷は癒えていないし、この先多分持病としてずっと抱えていかないと行けないと思う。どうしたものか。


大好きな両親と自分の生活とを天秤に乗せてはため息ついてる。


ふとしたときに考える。自分に兄弟がいたら、もっと裕福だったら、タラレバタラレバ・・・
そうやって本当に考えなきゃいけないことから目をそらしている。

電車閉じ込め

関西で大きな地震が起きた。まずは亡くなった方や御遺族にお悔やみ申し上げます。

ちょうど朝の通勤ラッシュと重なり、大勢が緊急停止した電車の中に閉じ込められた。ニュースやSNSでは最大2時間も閉じ込められたという。幸い僕は電車通勤ではないので巻き込まれることはなかったが、IBS過敏性腸症候群)の僕はこの自体に恐怖を感じた。

IBSの人に共通する問題として、公共交通機関、特に電車という乗り物が怖い。特急の次の駅まで15分かかる場合でも身構えてしまうのに、2時間。しかもいつ復旧するかわからないという状況。健康な方も含め本当に気の毒に思った。確かに安全確認は大切だと思うが、2時間という時間の間にもっと早く乗客を外にだすことはできなかったのだろうか。

IBSなどの精神疾患を理由で電車を苦手とする人は、10人に1人の割合でいるという。そういう事実を鑑みて鉄道会社は対策をしていただきたい。まずはすべての電車にトイレの設置を切に願う

僕の地元は瀬戸内海の人口数千人の小さな島だ。

時代の流れとともに、大きな橋が架かる隣の島を横目で羨みながら、連絡船を使い本土の高校へ通ったのが15年前。

「地元の近くで働いたら」という両親の願いを聞かず、今の街で就職したのが10年前。

近所にコンビニは当たり前、電車は10分おきに来る。地元とは比べ物にならないくらいの便利な生活。しかし、便利になった反面失ったものも多い。


そんな一つに闇がある。


小学生の頃、この時期になると友達とよくカブトムシやクワガタを取りに雑木林で一日を過ごした。

狙うはオオクワガタ。ノコギリクワガタやミヤマクワガタもなかなか嬉しい。

しかし、見つかるのはコクワガタやカブトムシのメスばかり。たまにオスのカブトムシもいたが、僕の地元ではたいして珍しくもなかった。

その日もお目当ての虫が見つからず、落胆して母にそのことを話していたら、となりで聞いていた父が突然「出かけるぞ」と一言。


父は良く言えば寡黙、悪く言えば言葉足らずで、何を考えているのかわからないことがよくあった。「尻に敷かれている」といのではなかったと思うが、我が家の舵は母が握っており、父が自分から何かを提案することはほとんどなかった。

そんな父の発言に母も僕も驚いたが、父から誘われることなどめったになかった僕は、胸を膨らませ、言われるがまま手を引かれ家を出た。


外はもうとっくに日が暮れ、街灯が立っている通りから一本脇道へ逸れると、そこには本当の闇があった。

薄暗い懐中電灯に照らされた足元。光があたらないところに足を踏み入れると、一生出てこられないのではないかと錯覚してしまう。家を出る時の胸のワクワクは、いつしか恐怖に変わっていた。

虫の鳴き声や、砂利道を歩くサンダルの音も、昼間とは全く違っていた。感覚がどんどん研ぎ澄まされていくのがわかる。

父の手をぎゅっと握ると、

今まで黙って歩いていた父が、僕の不安をかき消すように「ついたぞ」と一言。

足元の懐中電灯の明かりが前方を照らし、つられて顔をあげると光の先に自動販売機が一台あった。


そこには自動販売機の光に誘われた虫たちがたくさん集まっていた。

カブトムシ、クワガタ、カナブンに羽虫。

昼間の虫取りで思うような成果をあげられなかった僕に対する父からのプレゼントだった。


都会の夜は明るい。

だが時々、そんな明るい夜の中でも、得体の知れない闇のような恐怖に襲われることがある。そんなとき、あの日の父の大きくて温かい手は、今でも闇の中で尻込みしている僕の手を優しくしっかり握っていてくれるのである。

あけましておめでとうございます

年末年始は毎年実家に帰るようにしてたのだが今年は帰らなかった。

「今年は帰らないよ。友達とこっちで年越しするから」
電話からは母の残念そうな声。
友達ってところを本当は彼氏って言いたかったが、さらに沈んだ母の声を聞くことになりそうなのでやめた。
このまま嘘をつき続けてるのも辛いが、一人息子がゲイだと聞かされた母のことを思うともっと辛くなる。

「年越し」て言ったけど彼氏は実家で年越しの予定。帰ってくるのは二日。
僕も彼氏もイベント事にそんなに執着がないので年越しに無理に一緒に過ごす必要はないと思っている。まあ僕が、今年は実家に帰らないと言う前に里帰りの予定は決まっていたようだが。

 

ひとりは好きだ。撮りためていたドラマをみたり、部屋の片付けをしたり割と有意義に過ごせた。
エロDVDが大量にあったので処分しようと思ったが、もったいなくなったのでケースだけ捨てて中身は100均で買ったDVDケースに入れ直した。
あとはテンガや大人のおもちゃも数点クローゼットの奥から見つかったが、使う予定もないので捨てた。捨てる際、新聞紙で包んで外から見えないよう細工している自分が少し虚しかったが、今年の自分を締めくくるにはいいんじゃないかと納得した。

綺麗になった部屋でいろいろ考えていたら学生時代の同級生が、

「俺も地元に帰るから正月は遊ぼう」と言っていたのを思い出したが、
結局、彼から連絡が来ることはなかった。

 

年越しと元日はほんとに誰とも会わずに過ごした。
夕闇の中、いつも歩く散歩コースにもだれもいない。学生マンションの窓も真っ暗。

意外と悪くない。多分これは本当の孤独とは違うから。同級生の顔を思い浮かべながらそんなことを考えた。

 

二日になり、彼氏が帰ってきた。
彼氏のお母さんが作ったおせちを食べたあと初詣に行った。

となりで柏手を打つ音を聞きながら世間より二日遅れてようやく僕の年が明けた。

 

 今年もこの人の隣にいられますように。